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2017.10.30

story.2 私の人生を決めた側弯症

story.2私の人生を決めた側弯症

20代男性

20代男性

私が側弯症と診断されたのは小学校5年生で行われたモアレ検査の時でした。二回の検査の後、病院で詳しく診てもらい側弯症と診断されました。それまで私は自分の背中が側弯しているという自覚は全く無く、側弯症と言われてもあまりピンと来ていませんでした。特に命に関わらないが真っ直ぐには治りにくい、といった印象を受けたことを覚えています。側弯症と分かってから定期的にレントゲンを撮り進行具合を見ていっても、別に死ぬわけではないし、と私はあまり危機感を覚えませんでした。身体的に気になるハンデがあるわけでもないので、周りの友人達とも何も気にせず遊んで過ごしていました。ただ1つ、レントゲンを撮る度に自分の背骨がどんどん曲がっていくのを見るのは、あまり良い気分ではなかったです。

経過観察を続けていたある日、「側弯が進行してきたのでコルセットを着けましょう。」と言われました。腰に巻くだけのやつかな?それだったら別にいいかな、と何も知らない私は考えていました。コルセットを作る日がやってきて、別室に通された私は現実を知りました。石膏を染み込ませた包帯を体に巻き、型を取ってその人の曲がり具合に合ったコルセットをオーダーメイドで作っていました。包帯は不思議な感触でしたが、先生をはじめ看護師、放射線技師、装具士の方たちの丁寧な接遇であまり不安はありませんでした。

image当時中学生の私は出来上がったコルセットを着けることに少し抵抗がありました。立つときも座るときも、ご飯を食べるときも寝るときも、お風呂に入るとき以外は常に装着しなければならず、特に寝るときは寝返りもうてず息苦しいため大変な思いをしたことを覚えています。柔道などのマット運動や器械運動以外は特に制限が無かったので学校の体育は参加できましたが、コルセットを着けながらはできないため、体育の時間になると一人別で着替えなくてはならず、少し不自由に思っていました。そして何より、汗っかきな私はコルセットで蒸し暑くなる夏場が大嫌いになりました。
しかし、嫌なことばかりではありませんでした。側弯症の進行は止まることはありませんでしたが、着けていなかった頃に比べ進行は確実に遅くなっていました。学校の先生や周りのクラスメートも私を気遣ってくれ、よく声を掛けてくれました。側弯症ではありながら学級委員として皆の代表となることもありました。私はコルセットに不自由を感じることはあっても側弯症によってハンデを背負っていると考えたことは一度もありませんでした。

高校生になってからもコルセットを着用する日々は続いていました。普通のイスではコルセットが当たって座りづらい為パイプイスを用意したり、体育の前にコルセットを外したり、放課後に友達と遊ぶときもずっと気になってしまうのは変わりませんでした。そのような生活を続けている内に、段々とコルセットを着けているのが嫌になりました。最初はご飯を食べ終わってからお風呂に入るまで。家に帰ってお風呂に入るまで。日中。寝るときだけ・・・そしてついに、私はコルセットを着けなくなりました。

コルセットをあまり着けなくなってから、私の生活はガラッと変わりました。自転車を漕ぐときに立ち漕ぎは難なくできる、ノートをとるときも姿勢が矯正されて集中できる、寝るときに布団の柔らかさが分かる、とても開放感に満ちた生活を送っていました。しかし、開放感と引き換えに側弯症の進行は徐々に強くなっていきました。

高校3年生になり、体の成長もある程度落ち着いた頃、手術の話が持ち上がりました。正直、毎日しっかりとコルセットを着けていなかったため覚悟はしていましたが、いざ手術と聞くと後悔の気持ちが湧き上がってきました。最初は戸惑いましたが、先生がとても丁寧に入院や手術について説明してくれたこと、そして何より発見当時からずっと診てくれている先生という安心感もあり、手術を受けようと決めました。

手術の日程が決まり、自己血採血や検査等を行い、手術後は経過観察やリハビリを行い術後2週で退院しました。入院をしたことのない私は、最初は新鮮な気持ちで過ごしていましたが、入院生活に慣れ始めるとともに手術の日が近くなるにつれて手術のことばかりを考えるようになっていました。手術や全身麻酔の説明、今後の流れを聞いていると何となく落ち着かない日々が続きました。

自分でも驚くことに、当日になると不思議と不安はありませんでした。着替えと前処置を済ませた私は手術室に運ばれ、麻酔を受けました。手術最中の出来事は意識にありませんが、医師や看護師の方々が沢山声を掛けてくれて緊張を和らげてくれていたのを覚えています。麻酔のマスクを被って3秒ほど数えた頃には、私は眠りに落ちていました。

手術を終えて体を動かそうとすると、起き上がることもできないくらいの痛みを背中に感じました。体が動かせるようになってからも微熱やふらつきで思うように体が動かせず、大変な日々を送っていました。1週間ほどが経ち、歩けるようになってからは辛くも楽しいリハビリ生活の始まりでした。最初はすぐに息が切れていましたが、体が慣れてくるにつれ思うように体が動くようになってくることがとても嬉しかったです。ご飯も問題なく食べられるようになり、背中の金属にも慣れ10月も終わる頃、いよいよ退院の日がやってきました。
退院した当初はまだ体を動かす際に違和感はありましたが、退院したその日に自転車に乗れるくらいにはふらつきも治っていました。学校にも復帰でき友人達も笑顔で迎えてくれました。久しぶりに食べる母の料理も美味しかったです。

それから月日が流れ、具体的にいつ、といった風には覚えていませんが、高校を卒業する頃には入院前と変わらない生活に戻っていたと思います。そういえば違和感無くなったな、と思うくらい自然と体は慣れていました。

体が完全に慣れてからの生活は手術する前の生活と何も遜色のない毎日を送っています。むしろ、側弯の進行を心配しなくてもいい。コルセットを着用しなくてもいい。体が曲がっている見た目を気にしなくてもいい。とプラスになった面がいくつもあります。手術当初は大変でしたが、今では手術して良かったと思います。

imageそして私は今、同じように側弯症を患っている方の力になって少しでも助けになろうと思い、自分が手術を受けた病院で診療放射線技師として働いています。当時私を手術していただいた先生やお世話になった人たちと同じ職場で働けていることをとても誇らしく思いながら日々業務にあたっています。

側弯症によって、見た目を気にしたり、痛みが現れたり、手術しようか考えたり、いろいろと悩む方も多くいらっしゃると思います。また、側弯症の患者は女性が多いと言われていますが、私のように男性でも側弯症を患い、悩む方もいらっしゃるかと思います。私もその中の一人でした。
しかし、側弯症をハンデに思う必要は無いと思います。陸上で世界一になった人物も側弯症です。もし側弯症で悩んでいたり自分の体について疑問に思うことがあれば、一度先生に相談してみてください。もしかしたら私のように、将来が決まるような出来事に出会うかも知れません。

story.2私の人生を決めた側弯症

20代男性

20代男性

私が側弯症と診断されたのは小学校5年生で行われたモアレ検査の時でした。二回の検査の後、病院で詳しく診てもらい側弯症と診断されました。それまで私は自分の背中が側弯しているという自覚は全く無く、側弯症と言われてもあまりピンと来ていませんでした。特に命に関わらないが真っ直ぐには治りにくい、といった印象を受けたことを覚えています。側弯症と分かってから定期的にレントゲンを撮り進行具合を見ていっても、別に死ぬわけではないし、と私はあまり危機感を覚えませんでした。身体的に気になるハンデがあるわけでもないので、周りの友人達とも何も気にせず遊んで過ごしていました。ただ1つ、レントゲンを撮る度に自分の背骨がどんどん曲がっていくのを見るのは、あまり良い気分ではなかったです。

経過観察を続けていたある日、「側弯が進行してきたのでコルセットを着けましょう。」と言われました。腰に巻くだけのやつかな?それだったら別にいいかな、と何も知らない私は考えていました。コルセットを作る日がやってきて、別室に通された私は現実を知りました。石膏を染み込ませた包帯を体に巻き、型を取ってその人の曲がり具合に合ったコルセットをオーダーメイドで作っていました。包帯は不思議な感触でしたが、先生をはじめ看護師、放射線技師、装具士の方たちの丁寧な接遇であまり不安はありませんでした。

image当時中学生の私は出来上がったコルセットを着けることに少し抵抗がありました。立つときも座るときも、ご飯を食べるときも寝るときも、お風呂に入るとき以外は常に装着しなければならず、特に寝るときは寝返りもうてず息苦しいため大変な思いをしたことを覚えています。柔道などのマット運動や器械運動以外は特に制限が無かったので学校の体育は参加できましたが、コルセットを着けながらはできないため、体育の時間になると一人別で着替えなくてはならず、少し不自由に思っていました。そして何より、汗っかきな私はコルセットで蒸し暑くなる夏場が大嫌いになりました。
しかし、嫌なことばかりではありませんでした。側弯症の進行は止まることはありませんでしたが、着けていなかった頃に比べ進行は確実に遅くなっていました。学校の先生や周りのクラスメートも私を気遣ってくれ、よく声を掛けてくれました。側弯症ではありながら学級委員として皆の代表となることもありました。私はコルセットに不自由を感じることはあっても側弯症によってハンデを背負っていると考えたことは一度もありませんでした。

高校生になってからもコルセットを着用する日々は続いていました。普通のイスではコルセットが当たって座りづらい為パイプイスを用意したり、体育の前にコルセットを外したり、放課後に友達と遊ぶときもずっと気になってしまうのは変わりませんでした。そのような生活を続けている内に、段々とコルセットを着けているのが嫌になりました。最初はご飯を食べ終わってからお風呂に入るまで。家に帰ってお風呂に入るまで。日中。寝るときだけ・・・そしてついに、私はコルセットを着けなくなりました。

コルセットをあまり着けなくなってから、私の生活はガラッと変わりました。自転車を漕ぐときに立ち漕ぎは難なくできる、ノートをとるときも姿勢が矯正されて集中できる、寝るときに布団の柔らかさが分かる、とても開放感に満ちた生活を送っていました。しかし、開放感と引き換えに側弯症の進行は徐々に強くなっていきました。

高校3年生になり、体の成長もある程度落ち着いた頃、手術の話が持ち上がりました。正直、毎日しっかりとコルセットを着けていなかったため覚悟はしていましたが、いざ手術と聞くと後悔の気持ちが湧き上がってきました。最初は戸惑いましたが、先生がとても丁寧に入院や手術について説明してくれたこと、そして何より発見当時からずっと診てくれている先生という安心感もあり、手術を受けようと決めました。

手術の日程が決まり、自己血採血や検査等を行い、手術後は経過観察やリハビリを行い術後2週で退院しました。入院をしたことのない私は、最初は新鮮な気持ちで過ごしていましたが、入院生活に慣れ始めるとともに手術の日が近くなるにつれて手術のことばかりを考えるようになっていました。手術や全身麻酔の説明、今後の流れを聞いていると何となく落ち着かない日々が続きました。

自分でも驚くことに、当日になると不思議と不安はありませんでした。着替えと前処置を済ませた私は手術室に運ばれ、麻酔を受けました。手術最中の出来事は意識にありませんが、医師や看護師の方々が沢山声を掛けてくれて緊張を和らげてくれていたのを覚えています。麻酔のマスクを被って3秒ほど数えた頃には、私は眠りに落ちていました。

手術を終えて体を動かそうとすると、起き上がることもできないくらいの痛みを背中に感じました。体が動かせるようになってからも微熱やふらつきで思うように体が動かせず、大変な日々を送っていました。1週間ほどが経ち、歩けるようになってからは辛くも楽しいリハビリ生活の始まりでした。最初はすぐに息が切れていましたが、体が慣れてくるにつれ思うように体が動くようになってくることがとても嬉しかったです。ご飯も問題なく食べられるようになり、背中の金属にも慣れ10月も終わる頃、いよいよ退院の日がやってきました。
退院した当初はまだ体を動かす際に違和感はありましたが、退院したその日に自転車に乗れるくらいにはふらつきも治っていました。学校にも復帰でき友人達も笑顔で迎えてくれました。久しぶりに食べる母の料理も美味しかったです。

それから月日が流れ、具体的にいつ、といった風には覚えていませんが、高校を卒業する頃には入院前と変わらない生活に戻っていたと思います。そういえば違和感無くなったな、と思うくらい自然と体は慣れていました。

体が完全に慣れてからの生活は手術する前の生活と何も遜色のない毎日を送っています。むしろ、側弯の進行を心配しなくてもいい。コルセットを着用しなくてもいい。体が曲がっている見た目を気にしなくてもいい。とプラスになった面がいくつもあります。手術当初は大変でしたが、今では手術して良かったと思います。

imageそして私は今、同じように側弯症を患っている方の力になって少しでも助けになろうと思い、自分が手術を受けた病院で診療放射線技師として働いています。当時私を手術していただいた先生やお世話になった人たちと同じ職場で働けていることをとても誇らしく思いながら日々業務にあたっています。

側弯症によって、見た目を気にしたり、痛みが現れたり、手術しようか考えたり、いろいろと悩む方も多くいらっしゃると思います。また、側弯症の患者は女性が多いと言われていますが、私のように男性でも側弯症を患い、悩む方もいらっしゃるかと思います。私もその中の一人でした。
しかし、側弯症をハンデに思う必要は無いと思います。陸上で世界一になった人物も側弯症です。もし側弯症で悩んでいたり自分の体について疑問に思うことがあれば、一度先生に相談してみてください。もしかしたら私のように、将来が決まるような出来事に出会うかも知れません。