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2017.10.30

story.1 私を変えた側弯症

story.1私を変えた側弯症

20代女性

20代女性

私は今年で26歳になります。手術をしてからあっという間に約6年が経ち、その後も経過良好です。

始まりは約13年前の中学2年生の時です。春の健康診断で内科の先生の指示で背中をかがめてみたところ、もしかしたら背骨が曲がっているかもしれないと言われました。とりあえず一度診てもらった方が良いということになり、専門の先生がいる○○病院を受診しました。

レントゲンを撮っていざ診察室に入ると、すでに私の背骨は約34度曲がっているという診断でびっくりしたのを覚えています。このまま進行して45度以上になると手術をしなければいけなくなるので、そうならないようにする為に装具治療を開始することになりました。しかし、もともと痛みなどの自覚症状や日常生活での不自由等は全くなく、見た目でも背骨が曲がっているのがわからないくらい普通で、強いて言うならよく見ると肩の高さが左右で少し違うだけだったので何が何だかよくわかりませんでした。そのため、“私は側弯症という病気なんだ”といった意識もなく、いまひとつピンときていませんでした。

側弯症と診断を受けてから装具を着けての生活がスタートしました。基本的にお風呂に入る時以外は装着していなければなりませんが、当時は学生で体育の授業があったので、その際は保健室を借りて装具を外し、着替えをしていました。装具を着けていることに対して特に恥ずかしいと思ったことはありませんでしたし、食事の時も着けたままなので、むしろ食べ過ぎずにいられて体型維持も出来るのでラッキー!くらいに思っていました。
一つ問題だったのは、皮膚が弱いので装具によって蒸れて(夏場は特に)赤くかぶれてかゆくなってしまったことです。あまりにひどかったので皮膚科を受診し、薬を飲みながらも頑張って装具を着けていました。主治医に相談したところ、皮膚の状態を優先して良いということだったので、装具を着けられずにいることが多々ありました。私の骨は柔らかくて曲がりやすく、緩やかに進行するタイプだったようなので、今思えばそれが原因で手術をしなければいけない状態にまでなってしまったのかなと思います。

image大学1年生の夏の定期診察の日のことでした。私は「手術をした方が良い」という診断を受けました。手術をしないといけない角度まで進行してしまったということと、このままにしておくと将来的に背骨が曲がっていることによって内臓にどんどん負担がかかってしまったり、呼吸器にも障害が生ずる可能性があるからということでした。手術をすべきことについて多少漠然とした不安はあったものの、不思議なことに“手術はいや”という気持ちは特になく、“手術して治すなら今が一番良いタイミング”だとすんなり先生の話を受け入れることが出来ました。手術を受けるのは授業に特に影響がない大学2年生になる前の春休みを選びました。

手術前には自己血の貯血やCT、MRI等、たくさんの検査がありました。手術日が近づくにつれ、緊張によるストレスで突発性難聴になったり、夜に息がしづらくなったこともありました。また、周りにも側弯症の手術後の同世代の子がいたので、その子たちを見ていると余計に緊張が高まっていたのを覚えています。

迎えた手術当日、家族に手術室まで見送りをしてもらい、不安でいっぱいの中いざ手術室に入ると、よく医療ドラマで見るような光景と全く同じで更に緊張してしまいました。ベッドに横になり、「これを吸って下さい」と言われてから記憶がなく、次に目が覚めたのは手術が終わった時でした。気持ちが和らぐようにと大好きな「嵐」のアルバムを流してくれていましたが、正直それどころではなく、何の曲だったか全く覚えていません。無事に長時間の手術を終えましたが、ここからが本当に辛くて大変な生活のスタートでした。術後のリカバリールームにいる時は、理由は未だによくわかりませんが、なかなか目を開けることが出来なかったり、痛みが強くて体勢を変えたくても変えられないので何度も看護師さんを呼んで手伝ってもらったりしていました。リカバリールームを出て一般病室に移動した後も、食事、排泄、立ち上がり動作、しゃがむ動作、ベッドから起き上がる動作、ベッドに横になる動作、歩行、入浴、全てが大変だったのを今でも鮮明に覚えています。入浴や髪の毛を乾かすのは母が手伝ってくれましたが、家族はずっと付きっ切りで私の介護が出来るわけではないので、それ以外はほとんどリハビリも兼ねて一人で行っていました。自分で自分を褒めてあげたくなるくらい良く頑張ったなと思いますが、術後の強い痛み、手術でボルトを埋め込んだことによる身体の重だるさ、自分が思うように身体が動かない、こういったストレスが積み重なりとても辛い日々でした。手術後数日経つと、早くもリハビリがスタートしました。リハビリ室まで行くのも精一杯な上に、リハビリそのものも痛みで思うように出来ませんでしたが、一日でも早く復活出来るようにと理学療法士の先生と一緒に頑張りました。

退院したのは手術日から約2週間後の日でした。正直そんなに早く退院出来るとは思っていなかったのでとてもびっくりしました。しかし、退院する頃にはとてもゆっくりではありますが、術後に辛かった動作等が徐々に出来るようになるまで回復していました。退院に際し、先生が「約7度になったからほぼ真っ直ぐだよ!」と喜びながら言って下さったので、とても嬉しい気持ちになり、頑張って良かったなと心から思いました。

手術をしたからと言って特に日常生活でやってはいけないことや制限等はありません。私は元々普段から全然スポーツや運動をしていませんでしたが、もちろんやって構わないとのことです。

手術後に何が変わったかと言われれば、元々側弯症だからと言って暗い気持ちになっていたわけではありませんが、気持ちが前向きに明るくなりました。見た目では誰も私が手術後の身体だということはわかりませんし、手術による30cmほどの傷口も今では全然わからないくらい薄くなりました。image何より“背骨がほぼ真っ直ぐになった”と自信が持てるようになり、すごく嬉しかったです。“当たり前”になってしまっていますが、普通に生活出来ることに対して感謝の気持ちが持てるようにもなりました。

長期に渡って患者の立場だったということと、先生を始めとする病院職員の皆さん、家族の支えがあったからこそ今の自分があるので、今度は自分が“医療の従事者”になって誰かの役に立てたら良いなという理由で、社会人になってからは入院してお世話になっていた病院で働いています。側弯症の患者さんがたくさんいるので、自分の経験を通して何らかの形でお手伝い出来たら良いなと思っています。

story.1私を変えた側弯症

20代女性

20代女性

私は今年で26歳になります。手術をしてからあっという間に約6年が経ち、その後も経過良好です。

始まりは約13年前の中学2年生の時です。春の健康診断で内科の先生の指示で背中をかがめてみたところ、もしかしたら背骨が曲がっているかもしれないと言われました。とりあえず一度診てもらった方が良いということになり、専門の先生がいる○○病院を受診しました。

レントゲンを撮っていざ診察室に入ると、すでに私の背骨は約34度曲がっているという診断でびっくりしたのを覚えています。このまま進行して45度以上になると手術をしなければいけなくなるので、そうならないようにする為に装具治療を開始することになりました。しかし、もともと痛みなどの自覚症状や日常生活での不自由等は全くなく、見た目でも背骨が曲がっているのがわからないくらい普通で、強いて言うならよく見ると肩の高さが左右で少し違うだけだったので何が何だかよくわかりませんでした。そのため、“私は側弯症という病気なんだ”といった意識もなく、いまひとつピンときていませんでした。

側弯症と診断を受けてから装具を着けての生活がスタートしました。基本的にお風呂に入る時以外は装着していなければなりませんが、当時は学生で体育の授業があったので、その際は保健室を借りて装具を外し、着替えをしていました。装具を着けていることに対して特に恥ずかしいと思ったことはありませんでしたし、食事の時も着けたままなので、むしろ食べ過ぎずにいられて体型維持も出来るのでラッキー!くらいに思っていました。
一つ問題だったのは、皮膚が弱いので装具によって蒸れて(夏場は特に)赤くかぶれてかゆくなってしまったことです。あまりにひどかったので皮膚科を受診し、薬を飲みながらも頑張って装具を着けていました。主治医に相談したところ、皮膚の状態を優先して良いということだったので、装具を着けられずにいることが多々ありました。私の骨は柔らかくて曲がりやすく、緩やかに進行するタイプだったようなので、今思えばそれが原因で手術をしなければいけない状態にまでなってしまったのかなと思います。

image大学1年生の夏の定期診察の日のことでした。私は「手術をした方が良い」という診断を受けました。手術をしないといけない角度まで進行してしまったということと、このままにしておくと将来的に背骨が曲がっていることによって内臓にどんどん負担がかかってしまったり、呼吸器にも障害が生ずる可能性があるからということでした。手術をすべきことについて多少漠然とした不安はあったものの、不思議なことに“手術はいや”という気持ちは特になく、“手術して治すなら今が一番良いタイミング”だとすんなり先生の話を受け入れることが出来ました。手術を受けるのは授業に特に影響がない大学2年生になる前の春休みを選びました。

手術前には自己血の貯血やCT、MRI等、たくさんの検査がありました。手術日が近づくにつれ、緊張によるストレスで突発性難聴になったり、夜に息がしづらくなったこともありました。また、周りにも側弯症の手術後の同世代の子がいたので、その子たちを見ていると余計に緊張が高まっていたのを覚えています。

迎えた手術当日、家族に手術室まで見送りをしてもらい、不安でいっぱいの中いざ手術室に入ると、よく医療ドラマで見るような光景と全く同じで更に緊張してしまいました。ベッドに横になり、「これを吸って下さい」と言われてから記憶がなく、次に目が覚めたのは手術が終わった時でした。気持ちが和らぐようにと大好きな「嵐」のアルバムを流してくれていましたが、正直それどころではなく、何の曲だったか全く覚えていません。無事に長時間の手術を終えましたが、ここからが本当に辛くて大変な生活のスタートでした。術後のリカバリールームにいる時は、理由は未だによくわかりませんが、なかなか目を開けることが出来なかったり、痛みが強くて体勢を変えたくても変えられないので何度も看護師さんを呼んで手伝ってもらったりしていました。リカバリールームを出て一般病室に移動した後も、食事、排泄、立ち上がり動作、しゃがむ動作、ベッドから起き上がる動作、ベッドに横になる動作、歩行、入浴、全てが大変だったのを今でも鮮明に覚えています。入浴や髪の毛を乾かすのは母が手伝ってくれましたが、家族はずっと付きっ切りで私の介護が出来るわけではないので、それ以外はほとんどリハビリも兼ねて一人で行っていました。自分で自分を褒めてあげたくなるくらい良く頑張ったなと思いますが、術後の強い痛み、手術でボルトを埋め込んだことによる身体の重だるさ、自分が思うように身体が動かない、こういったストレスが積み重なりとても辛い日々でした。手術後数日経つと、早くもリハビリがスタートしました。リハビリ室まで行くのも精一杯な上に、リハビリそのものも痛みで思うように出来ませんでしたが、一日でも早く復活出来るようにと理学療法士の先生と一緒に頑張りました。

退院したのは手術日から約2週間後の日でした。正直そんなに早く退院出来るとは思っていなかったのでとてもびっくりしました。しかし、退院する頃にはとてもゆっくりではありますが、術後に辛かった動作等が徐々に出来るようになるまで回復していました。退院に際し、先生が「約7度になったからほぼ真っ直ぐだよ!」と喜びながら言って下さったので、とても嬉しい気持ちになり、頑張って良かったなと心から思いました。

手術をしたからと言って特に日常生活でやってはいけないことや制限等はありません。私は元々普段から全然スポーツや運動をしていませんでしたが、もちろんやって構わないとのことです。

手術後に何が変わったかと言われれば、元々側弯症だからと言って暗い気持ちになっていたわけではありませんが、気持ちが前向きに明るくなりました。見た目では誰も私が手術後の身体だということはわかりませんし、手術による30cmほどの傷口も今では全然わからないくらい薄くなりました。image何より“背骨がほぼ真っ直ぐになった”と自信が持てるようになり、すごく嬉しかったです。“当たり前”になってしまっていますが、普通に生活出来ることに対して感謝の気持ちが持てるようにもなりました。

長期に渡って患者の立場だったということと、先生を始めとする病院職員の皆さん、家族の支えがあったからこそ今の自分があるので、今度は自分が“医療の従事者”になって誰かの役に立てたら良いなという理由で、社会人になってからは入院してお世話になっていた病院で働いています。側弯症の患者さんがたくさんいるので、自分の経験を通して何らかの形でお手伝い出来たら良いなと思っています。